東の軽井沢、西の由布院と呼ばれ、
全国的な人気観光地である大分県由布院。
由布院には約130軒の旅館がありますが、
その中でも別格の存在感を持つ、
御三家と呼ばれる三つの高級旅館があります。
今日はその御三家の一つ、
2015年に、JTBサービス最優秀旅館(小規模部門)に輝いた
国内屈指の名門旅館 山荘無量塔(さんそうむらた)を
ご紹介致します。
先代藤林晃司社長の深い見識と感性によって
細部までこだわり抜かれた
上質な空間をお楽しみ下さい。
特別な許可を頂き、施設の一部を撮影させて頂きました。
必見です!
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↑(1)山荘無量塔は、
「リ・クリエイト(再生)」をテーマに
先代藤林晃司社長が創業した旅館です。
日本各地から移築した古民家を中心に、
一棟一棟間取りも、設えも異なる古民家を
離れ形式の12室の客室として
1992年オープンしました。
この写真はロビーへの入り口。
独創的な山荘無量塔の文字は
日田在住の笹倉順氏によるものです。
↑(2)12の客室はすべて” 離れ”タイプです。
そのほとんどが古民家を移築したもので、
それぞれに異なる趣を持っています。
こちらのお部屋は「吉」。
築100年の古民家を新潟から移築した客室は、
日本の伝統と品格を漂わせる重厚な面持ちです。
↑(3)伝統を感じる囲炉裏の上の自在鉤(じざいかぎ)。
冬が長く厳しい北陸ならではの重厚感を感じます。
↑(4)「お客様をお迎えする為に、
時間と労力を惜しまず、
お客様お一人、お一人の「思い」と
真剣に向き合い、
どうすれば満足して頂けるかを深く考え、
凡事徹底する」を日々心がけて
おもてなしをしているそうです。
↑(5)おもてなしをする上でのもう一つのキーワードが
「一期一会の精神」
「一期一会」とは茶道に由来する言葉で、
その席を一生で一度の出会いと捉え、
誠心誠意向き合う姿勢を意味します。
↑(6)山荘無量塔では客室の掃除を外部委託せず
全て自分達の手で行ない、
その日のお客様に思いを馳せ
庭を清め、花を生けているそうです。
↑(7)先代藤林社長の経営哲学がよくわかる言葉として
『お客さまから言われて一番嬉しい言葉は、
料理を褒められたり
建物を褒められたりすることではなく
”いい時間を過ごせました”
と言われることだ』
ということを生前にお話しされていたそうです。
感動を通して社会貢献をするという精神が
今の山荘無量塔にも息づいています。
↑(8)明治中期の古民家を移築再生した、
無量塔の象徴的存在の「Tan’s bar」。
もともと先代藤林社長は音楽に造詣が深く
Tan’s barの随所に
強いこだわりが見られます。
中心に備え付けられているのが、
1930年代のアメリカ製劇場用スピーカー、
WE16Aホーン。
暖炉の上へのスピーカーの設置は
機材管理上あまり好ましくはないとのことですが、
先代藤林社長の強い思いがあり現在の位置に
設置されているそうです。
↑(9)Tan’s bar(タンズバー)の由来は
先代藤林社長の出身地である
日田の江戸時代の高名な学者
広瀬淡窓から来ているそうです。
新潟から築100年の古民家を
移築・アレンジした贅沢な空間です。
↑(10)本館の食事処「柴扉洞(サイヒドウ)」
柴扉洞の由来は、
広瀬淡窓が26歳の時に書いた漢詩、
桂林荘雑詠の中の
”柴扉暁出霜如雪”という一文に
由来しているそうです。
柴扉暁に出づれば
(さいひあかつきにいずれば)
霜雪の如し
(しもゆきのごとし)。
訳:質素な柴の戸を開けて、
早朝、庭に出てみると、
霜が一面に降り敷いていて、
まるで雪が降ったかのよう。
先代藤林社長は
山荘無量塔を創業した地である
由布院の景色と
幼き頃の故郷日田の景色を重ね合わせ
思いを馳せていたのかもしれません。
↑(11)柴扉洞内にある、とても大きな囲炉裏。
九州は冬でも気温が温かいイメージが
あるかもしれませんが
由布院は雪が降るほど冷え込む日もあります。
冬の由布院を訪れる宿泊客を
囲炉裏の温もりが癒します。
↑(12)こちらは先代藤林晃司社長が好んでいた
李朝家具の一つです。
館内にある調度品のほとんどが
先代藤林晃司社長の感性によって
選ばれたものだそうです。
↑(13)北陸の大きな古民家を移築して
作られた受付ロビー。
一つ一つの柱・梁がとても太く、
北陸の古民家ならではの
重厚感を感じます。
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